コーチングにおける「信じる」とは?

こんにちは。


最近暖かくなり、花粉もようやくシーズン終盤。ここ数日はマスクなしで出かけられるようになりました!(^^)!


さて、今日は「信じる」についての自分なりの考察です。(勝手な解釈なので・・・)


コーチングをしていると「クライアントを信じる」ということをよく聞きます。自分もそのように教わってきましたが、ふと「信じる」ってどういうこと?と疑問に思いました。

何となくわかっているようでわかっていないこの言葉。皆さんは相手を信じるって出来ていますか?


信じる=期待ではない

保護者や指導者などが「お前を信じている」というフレーズ、よく聞くような気がします。でも、このフレーズの後、スポーツで結果が出ないとがっかりしていませんか?それって相手のことを信じていると言いながら、結果に期待していますよね。


自分自身が結果に対しての期待があると、「信じる」→「お前のした努力が良い結果になるように望んでいるよ」といういわゆる願望になります。では願望=信じるなのか、と言われればきっと皆さん、「違うよ」と思われると思います。


特に保護者や指導者など相手の行動に利害関係が生まれやすい関係性の人は、この「信じる」ということが難しいのかなと感じます。どこかで自分のメリット、良い影響を考え、デメリットや失敗を恐れてしまうからです。その自分の考えが生まれると「期待」や「恐れ」となって「信じる」が出来なくなってしまうのかと思います。


自分のコーチングを見直してみても、クライアントの行動が「上手くいってほしい」や「少しでも気が付いて欲しい」という願望が生まれてしまうために、相手を「信じる」ことが不十分だなと最近セッションから気が付きました。


「信じる」=全てを受け容れる(認める)

「信じる」を辞書で調べると、

「信ずるとは物事を本当だと思う。正しいとして疑わない。間違いないものと認め、たよりにする。信頼する。信用する。」等とあります。「正しいとして疑わない」と言われるととても盲目的な人のように感じますが。


それを踏まえて、自分が考える「信じる」とは、相手の行動や思考を全て受け入れ、理解し、認めることだと思います。相手が例え失敗しても、その行動がその人のためになる、成長になると思えることかな、と思います。


自分に利害関係が及ぶと失敗=がっかりになってしまいます。でもその失敗がその人のためになると考えられれば、どうでしょうか。多少は我慢ができませんか?


例えば子供がいたずらをした結果、大けがをしてしまったとしたら。勉強不足で赤点を取ってしまったら。緊張してプレーでミスをしたら。それらを受け容れる、理解して認める(この経験が成長につながる)ことが「信じる」なのかなと思います。


勿論大けがの危険性がある時は、「やめなさい」と止めたりもするけど、ミスをするのが分かっているから「こうプレーしろ」というのは「期待」なんでしょうね。


この「信じる」というのはとても難しいし、自分が何らかの「期待」や「見返り」を願望としてもっていると「信じる」ことができないのかなぁ、というくらいのものだと最近思ってきました。クライアントが「怒りはしないか、良く思ってくれるかな、満足してくれるかな」などと考えていると相手を信じて相手に寄り添えないなと思います。


でも、コーチングを習得するうえでは必要な能力でもあると思うので、意識していきたいと感じています。(なんか宗教みたいな話になっちゃった・・・)


終わり。

夢が加速する アスリートメンタルコーチング

ジュニア世代のアスリートにとって、競技環境はとても狭い世界。指導者、チームメート、保護者・・でもその世界の中で何とか上手くなろうと日々盲目的にもがいている。 自分の夢のために本当に効果的に動けているか、今一度自分に問いかけてみて欲しい。 そして、その問いかけを手伝えるのがメンタルコーチ。 共に、夢の実現のために、「夢を加速」するために。

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